今のドラえもんは”ドラえもん”という皮を被った別の物だと思う。
この前書いたテセウスの船と同じ。
原作者の藤子・F・不二雄氏は亡くなり、
声優も大山のぶ代さんではない。
こんなものはドラえもんではない。
好きだからこそ憤っている。
天国の藤子・F・不二雄氏は悲しんでいると思う。
でも残された金儲け主義の人達が
故人の意志を尊重せず
勝手に声優を変え
絵柄を変え
雰囲気を変え
曲を変え
ストーリーを変えて
すべてをぶち壊している。
もはや少しクオリティの高い
同人誌と同じかそれ以下だ。
藤子さんがいないことをいいことに
まさにやりたいほうだいだ。
私の知っているドラえもんは死んでしまったのだ。
今は他のなにかがドラえもんの衣装を着て
“ドラえもん”を演じているだけ。
そんなものを“ドラえもん”と呼んでほしくない。
原作ももちろん全巻持っている。
大長編も藤子さんが生きていた
「ネジ巻きシティー冒険記」までは全巻持っている。
“所詮子供が見るもの”などと
ドラえもんをバカにする奴は許せない
たいしてドラえもんも知らないくせに
藤子さんの強い子供達を思う願いも知らないくせに。
そんな大人はドラえもんを見ないで育ったのだろう。
哀れだ。
私は小さい頃このドラえもんから様々な世界を学んだ。
魔法の世界
宇宙の果て
ジャングル
深海
他の星
地底世界
夢の中の世界
太古の恐竜の世界など。
様々な世界観を分かりやすく表現し
環境問題や人間の愚かな行い過ちまでを
自然にストーリーに組み込んだ
秀逸な作品達。
子供なら一度は体験してみたい
行ってみたいと夢見る世界を
体現していた。
そして善良な心と冒険心
なにより友情を教えてくれた。
これほど素晴らしく
道徳を学べるものは他に無い。
モラルの原点がそこにはある。
今後
大長編ドラえもんがいかにすばらしいか
一つずつご紹介しようと思う。
「のび太の恐竜」から
「ネジ巻きシティー冒険記」まで
逆にまず大人に知ってもらいたい。
この素晴らしさを
そして未来の子供達に伝えてほしいのだ。
このすばらしい作品群を。
未来の子供達の行く末は大人が握っているのだから。
自分はほんの少しでも
その手助けができればいいなと思う。
以上
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