「敦盛」のスケール感と物差

かの織田信長が好んで舞ったといわれる「敦盛」の一節、以下引用。

思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

人間50年。当時の平均寿命が50年程。長き歴史に比べれば、夢幻のようなもんだ。と。

正確に”化天のうちを比ぶれば”のところはもっと細かい意味があるけど省略。

実際に織田信長は本能寺の変で享年49(満48歳没)で亡くなったとされる。

実際に日本の歴史は約2000年ぐらいだとすればその内の一人の人間の寿命は現在80だとすれば80/2000年。地球で言えば46億年でしたっけ?そうしたら80/46000000000年ですか?(間違ってても雰囲気感じてください)まさに人間一人の人生など、夢幻の如くなり…なわけですよね。

宗教によっては神だなんだといってますが、地球の人生に比べればちっぽけなもの。実際どっかの本だったかに地球の寿命は100億年とか書かれていたとと思います。

要はなにが言いたいかというと人生なんか短いってことを言いたいんですよね。

だから若さの故の過ちだって、お縄になっても、金持ちになっても、貧乏になっても、人間80年の人生を客観的に見れば、いろんなことがあっていいと思うんですよね。一瞬でも無茶なことや世間にバカにされたり、蔑まれたり、逆に輝いたり、一時の栄光を掴むのもそれは良いコトだと思うんですよね。

物差しにも寄りますけどね、要は考え方を大きく持てば、小さい事など、気にならなくなるということを言いたいんすよね。

ちょっと最近そんなことがフッと思うことがあって書いた次第です。

わけわかんない記事ですね。申し訳ない。

以上。

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