Archive for the ‘高岡 匠の自己主張的日々の雑記’ Category

過去の栄光は食えねぇから捨てろ。

火曜日, 3月 8th, 2011

New style trash can
Attribution-ShareAlike License by Eric Kilby

往々にして私のブログ記事は自分への戒めも含まれるんですが今回もそうです。

日本のラッパーでは間違いなく一番尊敬しているTHA BLUE HERBのBOSS(ILL-BOSSTINO /BOSS THE MC)さんのリリックで、名曲「MY HEAT」という曲があるんですが、(死ぬ程カッコいい曲なのでぜひ一度聴いてね)この曲のパンチラインに、

「過去の栄光は喰えねぇから捨てろ。」

というリリックがあるんです。

これは教訓だな。と思う名言です。(もしかしたら出典元は他にあるのかもしれませんが)

私の経験上、その人がすごい過去を持っていたり、実績のある人だろうが、それをすごいかざしてくる人っているんです。

私は○○の大きな賞を取った事があるんだぞ?とか、他にも私は○○と友達だとか、私は○○と取引していたとか、私は○○とつながりがあるんだとか、私は○○に参加していたとか、私は○○に勤めていたとか。

そういうのを自慢げに語ってくる人っているんですが、気持ちがわからないでもないですが、正直格好わるいですよね。

過去の栄光にすがりつくのって。

もし本当にそれはすごいことかも知れないけど。それ自分で言うことかな?

たしかにそういう即物的なものが効果がある場合もあるかもしれない。

でもそれにすがりついてる人っているじゃないですか?過去の栄光にすがりついてる哀れな人。

そういうモノは捨ててしまったほうがいいですよね。

まさに「過去の栄光は喰えねぇから捨てろ。」

ということ。

昨日の自分を捨てて、毎日新しい自分に生まれ変わる。

簡単のようで難しい。

過去の自分にすがりつくのは甘えだと思う。

過去の自分を捨ててこその未来があるのだと私は思う。

というか自分はそうでありたい。

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作品を見ずに聴かずに嫌ったり批判する行為

火曜日, 3月 1st, 2011

めっさ頭くるんですよね。

音楽や映画や漫画やらアニメやら小説やらね、まぁなんでも作品ならそうなんですが、その作品をちゃんと見たり聴いたり、体験したりしてないのに「嫌いだ」といったり、「あんなのクソ」とか理由も特に無く、批判したり嫌ったりする人いるじゃないですか?

そういうのものすご頭くるんですよ。

それをちゃんと見て、聴いてから批判するのはいいですよ。私もけっこう”嫌いな話”のカテゴリでもよく批判したり、嫌いとかよく勝手に言わせてもらってますよ。

でもね、ちゃんとそれをちゃんと見たり、聴いたり、体験した上で批判したり、嫌いとか言っているんですよ。

特に多いのが音楽。

ちゃんと聴いてもいないのに、あるジャンルだからという理由や、古いからとか、雰囲気嫌いだからとか、顔が悪いとか、変な固定観念でね、勝手に好き嫌いを聴いてもいないのに判断したりする人多いんですよね。

100曲中99曲嫌いでも1曲名曲があるかもしれないじゃないですか。

漫画も全部読んだわけじゃなく、1巻読んだだけで、全然おもんないとか言ったりね。

映画もその監督作品の一番最初に見たのがイマイチだったら、もうその監督の作品全部を嫌ったりね。

映画のCM見ただけで全然あんなのダメとか。

そんなん多くないですか?

そんな大して、見たり、聴いたり体験もろくにしてもいねぇのに偉そうに批判するな!

というか批判するならば、それを批判するだけのちゃんと「理由」を述べろっちゅーねん!

ちゃんと見て聴いて、批判しろ。と。

なんとなく嫌い!とかそんなん言語道断なんですよ。

やっぱりちゃんと批判したり嫌ったりするには、ちゃんとした理由を述べてほしい。それだけ責任をもってほしい。

そうでない人がそれを聴いて、嫌な印象持つかもしれないじゃないですか?

意識の共有っていう心理が人間にはありますから。変な口コミも伝染するし。

その辺勘違いしてる人がいたらちゃんと考えを正してもらいたい。

批判することはそれだけ重いことなのだよ

以上。

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愛さなければ愛されない。

火曜日, 2月 22nd, 2011

Reach Out!
Attribution-NonCommercial-NoDerivs License by ~diP

けっこう勘違いしてる人が多いんです。

自分が望むことを自然と自分に来ないかなぁと思ってる人っているんですが、それは間違い。

人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と一方的に思っている人が多過ぎるように思える。

あなたは人を好いていますか?敬っていますか?愛していますか?自分がそうされている何倍もそうしていますか?

そうでなければ人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と一方的に思ってもそれは無理な話です。ある意味ギブアンドテイクのようなもんで、一方通行では決して、好かれない。敬われない。愛されない。

けっこう印象に残ってるのが、×××ホリックというCLAMPさんの漫画で「人間は尊いものを敬わないのに、なぜ尊いものが、人間を助けなければならないの?」というセリフ(うろ覚えw)があったと思うんですが、確かにな。と思いました。

都合の良い時にだけ、「神様助けて」と人間は叫ぶけど、普段神様に対して、なにかしたのか?敬っているのか?….まぁ所詮一方通行なんですよ。(ちなみに私は無神論者なんで神様なんか信じていません。そんな都合の良い存在いるわけねぇ)

人間てもうそれこそマズローの欲求段階レベルの話で人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と思っているけど、自分自身そうしているか?というと意外にそうではなくて。一方通行の場合がすごく多い。

たとえば「敬われたい」と思っている人は人に敬われる程の努力したのだろうか?ノーベル賞とったらみんなから敬われるけど、それには数々の努力と時間をかけた結果の上だ。たしかに世の中不当な評価なモノやコトはたくさんあるのも事実だけどね。

でも逆に言えば人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と思っている人は人を好いて、敬って、愛せばいい。簡単なことでしょう?そういう意識を持つ事が大切かなと思ってこの記事を書いています。

「好かれたい!敬われたい!愛されたい!」をすべて放棄する?実はこれが逆効果で、そうすると尚更その欲求が高まると思います。それこそ一方通行で。敬うことをヤメてはいけない、好くことをヤメてはいけない、愛する事はヤメてはいけない。それをすれば一人の人間としてダメになってしまうでしょう。

愛されたいなら愛しましょう。

以上。

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