8月 10

うーん。

政治の世界ってくだらないあげ足取りが多いように思えるんですよ。たしかに”日本語”の本当の意味ではたしかに使い方は間違ってるけども、それはニュアンスで意味を汲み取ってあげてくれればいいんじゃないすか?と思う事がよくあるんですよね。もちろん政治以外でもね。なんでもね。

もちろん間違ってますけども、そこを強く言葉尻だけをつかまえて、批判や文句するひとってのが、多い気がするんですよね。なんか真面目かもしれませんが、逆にそれがモンスターペアレントや過剰なクレーマーの問題なんかを生んでるんじゃないかなぁと思うんですよね。昨今。

日本人はくそ真面目な部分が良い所ではあるんですけども、悪く働くことも多いなぁと思うんですよ。なんとなく、A型が多い感じというか…匿名で批判や罵詈雑言をネット上で書く人が多いのもそういうことかなぁ..と最近思うのですよ。

まぁ実名文化が多少でも日本人の気質に備われば改善されると思うんですけどねぇ。

だからといって、ニュアンスはあくまでニュアンスで、実際ははっきりとした部分が無いとダメなんも事実。でも自分の場合、性格がすごい全体的にアバウトなので、その辺だめだなぁ自分は。

でもニュアンスで通じるか通じないかというのも聞く側の思いやりが大切なのかなぁと思うわけですよ。あと自分は「怒る」という感情がなかなかならないので、すぐにそういうコトに腹立てて、言葉尻だけをとらえて、すぐにあーだこーだと批判するのはねぇ…どうかなぁ。と思うんですよね。

まぁ仏の心的な(違うか)ねぇ。相手の事を自分の立場で考えればね、思いやり感が少しでも増えるんじゃないかな?

あげ足取りってあまり良くないと思います。たとえそれ自体が正しくてもね。ニュアンスを汲み取る力を育てるのも円滑な人間関係を構築するのに必要不可欠だと思います。

もちろん私もそういう努力をしていきたいと思っています。

以上。

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8月 03

最近ちょっと更新が滞って申し訳ない。

では本題

「琴線に触れる」という言葉があります。綺麗な言葉ですよね。しかもうまく言い表していますし。

意味は

「心の奥深くにある、物事に感動・共鳴しやすい感情を琴の糸にたとえていった語。「心の―に触れる言葉」

とあります…が

不愉快になる意で用いるのは誤用なんですが、自分はどっちにも使いたいんですよ。(自分が勝手にですけど)反対の意味にも。

つまりなにかの作品を見た、聞いた、触れた時に、感じるあの感覚です。

それが”良い””悪い”を理論やなんかでは無く心の奥底まさに琴線のような感覚で揺れる時。

琴線〜は元々はもちろん”良い”のみですが、”悪い”と思う時にも触れるんですよね。自分の場合。(そういうことにさせておいてください。)

なんとも言葉に表しづらいのですが、やはり一番しっくり来るのは”琴線”という言葉で、自分の場合、無意識に明確な理由や理論などは無視してはたらく感覚なんですよね。

例えばそれは
映画を見たとき、
CMを見たとき、
音楽を聴いたとき、
テレビ番組を見たとき、
芸術を見たとき、
デザインを見たとき、
人間を見たとき…

有りと有らゆる時に私の”琴線”は揺れる。それは”良い”方に触れるのか、”悪い”方に触れるかは、もはや無意識下の事としか言いようが無い。

今まで人生生きてきて、体験したり、見聞きしてきたこと全部が琴線の振れ方を決めているのかもしれない。そういう感覚ありませんか?多分”琴線”の感覚はそれこそ千差万別で、一人としてまったく同じということはないと思いますが、この感覚誰しもがもってる”第六感”みたいなもんじゃないかなぁと思っているんですよね。

自分の場合それを一番感じるのはCMなんですよね。このブログでもCMについての記事(最近少ないですが)も書いていますが、CMを見る度にパッと琴線が揺れます。良い方にも悪い方にも。

Webデザインやグラフィックデザインでもよく感じます。

こういう感覚はやっぱり自分にとって財産だと思う。この”琴線”の感覚があるからこそ、あらゆるものの傾向と対策が練れる。というか”良い”と思う部分を自分に取り入れ、”悪い”と思う部分を排除できる。

そうやって感性を磨く。そうすればさらに”琴線”の感覚が鋭くなる。

人生これの繰り返しですよね。

以上。

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7月 01

[Bob Burman, race car driver] (LOC)
No known copyright restrictions by The Library of Congress

先日免許更新に行ってきてね、改めて思うこと、今日は車についてちょっと書いてみたいと思う。みんなは車に乗る行為をどう捉えていますかね?

自分的には車の中というのは”恐い”ところという認識が強い。

(通勤で車を使う場合)殆ど毎日乗るわけですじゃないすか?一日を振り返って見ると一日の時間の中で唯一危険と隣り合っているのが車に乗っている時間なんですよね。

まず自分が事故を起こす可能性がある。人を轢くかもしれない。モノを壊すかもしれない。路面の凍結でスリップもするかもしれない。ローンの残っている車が廃車になるかもしれない。

自分がどんなに気をつけていても、向こうからぶつかってくる可能性だってある。

車って日常に溶け込んではいるが、よくよく考えてみると、便利な反面様々な危険や不幸を呼ぶ可能性があるものですよね。

しかも簡単に。

それこそ飲酒運転をしたりなんかしたら人生終わりですよ。

なので自分としては車の中というのは危険といつも隣合わせで危険な場所という意識が強いのです。

バイクつったら更にその何倍もリスクが増すでしょうから絶対乗りたくありませんね。

車も人生のリスクを減らしたいなら極力乗るのを控える事ですよね。

“車”を原因として不幸になった人も多いはず。

毎日当たり前に乗っている車ですが、そういった大きなリスクを負わなければ車は乗れないということを今しっかり頭に入れてほしいな..と。

普段の日常で一番気をつけるべき場所は車の中だ!..と。いうことを言いたかったわけです。

そういう意識を持つのが重要なんじゃないかなぁと思います。なめてるといつかボロが出ますよ。

ご用心。

以上。

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