10月 08

今日は普通のお話を。

最近さよなら絶望先生を読み始めたんす。プログラマーの和田さんが「おもしろいよ」って言ってて「へぇ」って感じで手に取ってみました。同じ作者のかってに改蔵は読んでたんですよ。当時サンデーを毎週買ってたんで。それでこのさよなら絶望先生はけっこういろんなところで目にするんで、オモロいんだろうなぁと読んでみましたが、内容というか芸風はかってに改蔵とまったく変わらない….ある意味想像通り。ある意味期待はずれではあったんですが、まぁかってに改蔵も面白かったんで,さよなら絶望先生ももちろんそれなりにおもしろくはあるんですけど…とにかくこの作者の漫画はすごいほんと固定化されたパターンがありますよね。それの中で時々すごい納得というかわかるなぁ..というエピソードがあるんですよね。

まぁそいでね。6巻の54話「百万回言われた猫」は秀逸だなぁと感心しました。内容は要は、「あんたはおもしろいかもしれないけど、それを言われるのはあんたで100万人目なんだよっ!」っていう話。これありますよね。すごいあります。自分の場合「デカイですね」と100万回言われてます。「たばこ吸うでしょ?」とも95%言われます。自分はたばこ吸わないよっ!強面が全員たばこ吸ってるわけじゃねぇのよ。

漫画ではブルガリア出身の琴欧州にたいして、「ヨーグルト好きなんですか?」と聞くレポーター。東京ディスニーランドって東京じゃないじゃんとかそういう何度となく再三言われているという、聞く方は一回目でも言われた方はもううんざりするぐらい、その質問に対して答えてるんだよね。

自分の大学の時の恩師はスイス出身で京都を経て、今新潟の大学に居るんですが、「どういう経緯でスイスからきたんですか?」と「好きな日本食は?」をまさに100万回言われているらしくうんざりな様子でした。聞く方は興味あるんですけどね、聞かれる方はめんどくさいことこの上ないですよ。

だからこれ読んだ人もそういうのを意識してもらうと良いと思うんです。教訓だなこれはと思ってね。

聞く方は一回目でも相手は何度も言われてうんざりしてるかもしれない。それ考えると誰も聞かない事を聞いたり、それ自体を「何べんも言われて大変でしょ?」いって言ってあげるといいかもしれません。

…まぁそれだけなんですが、すごい共感できるお話だったんでピックアップしました。あなたも質問するときその辺を意識して質問するといいかもしれませんね!というお話し。

でも逆に何万回言われてもうれしいことってのもあるんだけどね。

以上。

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9月 23

かの織田信長が好んで舞ったといわれる「敦盛」の一節、以下引用。

思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

人間50年。当時の平均寿命が50年程。長き歴史に比べれば、夢幻のようなもんだ。と。

正確に”化天のうちを比ぶれば”のところはもっと細かい意味があるけど省略。

実際に織田信長は本能寺の変で享年49(満48歳没)で亡くなったとされる。

実際に日本の歴史は約2000年ぐらいだとすればその内の一人の人間の寿命は現在80だとすれば80/2000年。地球で言えば46億年でしたっけ?そうしたら80/46000000000年ですか?(間違ってても雰囲気感じてください)まさに人間一人の人生など、夢幻の如くなり…なわけですよね。

宗教によっては神だなんだといってますが、地球の人生に比べればちっぽけなもの。実際どっかの本だったかに地球の寿命は100億年とか書かれていたとと思います。

要はなにが言いたいかというと人生なんか短いってことを言いたいんですよね。

だから若さの故の過ちだって、お縄になっても、金持ちになっても、貧乏になっても、人間80年の人生を客観的に見れば、いろんなことがあっていいと思うんですよね。一瞬でも無茶なことや世間にバカにされたり、蔑まれたり、逆に輝いたり、一時の栄光を掴むのもそれは良いコトだと思うんですよね。

物差しにも寄りますけどね、要は考え方を大きく持てば、小さい事など、気にならなくなるということを言いたいんすよね。

ちょっと最近そんなことがフッと思うことがあって書いた次第です。

わけわかんない記事ですね。申し訳ない。

以上。

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9月 15

ひさしぶりに普通の記事を。ほんとはこういう記事をコンスタンスに書きたいのですがね、まぁそうもいかないです。しかも今現在風邪をめしたようで、体調がよろしくないです。先週の疲れとか締め切りが身体に負担をかけたのでは?と思います。

では本題。

自分の生き方のある意味での目的は「普通」を得ることなんですよね。

もちろん「普通」ってひとそれぞれだと思いますけどね。

JOJO第四部に登場した吉良吉影の生き方には少し共感できるんですよ。

彼も「殺人をせずにはいられない」という気性さえなければ、まさに彼の言う通り「平穏な日々」をおくれたのではないかなぁと思います。

例えば吉良の例でいえば、一等賞を取れる実力があっても下手な争いやいざこざの元になる可能性があるからトップはとらない。実力はあるのに出世も敢えて望まず、だからといって、人並み以上にはそれなりに仕事をこなす。働きすぎず、夜更かしもしない。他人とも殆どかかわらず、最低限のみ。

という生き方で、目立たず、敵を作らないようにする人生。こういう生き方って、自分は「アリ」だと思うんですよね。

まぁ吉良ほど徹底しなくても良いとはおもいますけど..要は目立たずに普通にいるってこと。

でもそれがなかなかに難しいんですよね。”普通”でいることって。なにをもって”普通”とするかはさておきね。

松本大洋の「ピンポン」のスマイルこと月本も軽くそういうこといってましたよね。たしか..「他人を蹴落としてまで一位を取りたいとは思わない」的なことをね。

自分もできるだけ「普通」を心掛けて生きています。なのに、周りの人達はみんな口々に「高岡って変わってるよね」と言います。

なんでだろう?できるだけ普通に普通に生きようとしてるのに…

やっぱり見た目もあるとは思いますけど、自分は縦も横もでかい軽い巨漢なんで、それだけで見た目軽く損してるんですよね。大学時代は殆どの喋った時の無い人がおれのことが「ものすごい恐い人」というイメージだったららしいです。(超人見知りなので、誰にも話かけられないように敢えて恐い風貌にしていたんですけど)

「普通」というカテゴリから”見た目”がすでにかけ離れている。

要は中肉中背になりたかった。そうすれば理想とする「普通」に一歩近づけたかもしれないに。

性格や所作から言動、なんでもかんでも目立たない”普通”というのは理想かもしれない。

よく「影が薄い」って悪い事って言われますが、自分はちょっと羨ましいですね。

地位や成績も低過ぎるのは嫌なんですが、高すぎるの嫌いです。

世間体的に年相応の地位や成績ならそれで十分です。だって低過ぎても、高過ぎても目立つし、不幸になりそうじゃないすか?

収入もね。お金持ちにはなりたくないです。最低限の日本人の平均収入程度あって、普通においしいものが食べれて、月にこずかいが3万あれば十分(家庭を持っていない場合)

もちろんデカイ家や高級車も要らない。綺麗な奥さんも要らない。それなりに普通であれば十分だ。

でもその「普通」を手に入れるのは簡単そうで難しい。自分にとっては至極難しい。

もはや生まれ変わらないと無理かもしれない。

だからこそね、憧れるわけですよ。「普通」に。

低すぎる、悪すぎるも駄目だし、高すぎる、良すぎるも駄目…

その絶妙なバランスはデリケートで難しい..

だからこそそういう人生を目指しています。

これを読んで「小さい男だな」って思った人もいるかもしれない。

でもそういう人は上を目指してくれれば良い。それで良いと思う。

普通にならなきゃ..その為には努力しなきゃなと思う。

….頑張ろう。自分にとって「普通」とは理想であり、目指すべきものなのですよ。

以上。

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