3月 01

めっさ頭くるんですよね。

音楽や映画や漫画やらアニメやら小説やらね、まぁなんでも作品ならそうなんですが、その作品をちゃんと見たり聴いたり、体験したりしてないのに「嫌いだ」といったり、「あんなのクソ」とか理由も特に無く、批判したり嫌ったりする人いるじゃないですか?

そういうのものすご頭くるんですよ。

それをちゃんと見て、聴いてから批判するのはいいですよ。私もけっこう”嫌いな話”のカテゴリでもよく批判したり、嫌いとかよく勝手に言わせてもらってますよ。

でもね、ちゃんとそれをちゃんと見たり、聴いたり、体験した上で批判したり、嫌いとか言っているんですよ。

特に多いのが音楽。

ちゃんと聴いてもいないのに、あるジャンルだからという理由や、古いからとか、雰囲気嫌いだからとか、顔が悪いとか、変な固定観念でね、勝手に好き嫌いを聴いてもいないのに判断したりする人多いんですよね。

100曲中99曲嫌いでも1曲名曲があるかもしれないじゃないですか。

漫画も全部読んだわけじゃなく、1巻読んだだけで、全然おもんないとか言ったりね。

映画もその監督作品の一番最初に見たのがイマイチだったら、もうその監督の作品全部を嫌ったりね。

映画のCM見ただけで全然あんなのダメとか。

そんなん多くないですか?

そんな大して、見たり、聴いたり体験もろくにしてもいねぇのに偉そうに批判するな!

というか批判するならば、それを批判するだけのちゃんと「理由」を述べろっちゅーねん!

ちゃんと見て聴いて、批判しろ。と。

なんとなく嫌い!とかそんなん言語道断なんですよ。

やっぱりちゃんと批判したり嫌ったりするには、ちゃんとした理由を述べてほしい。それだけ責任をもってほしい。

そうでない人がそれを聴いて、嫌な印象持つかもしれないじゃないですか?

意識の共有っていう心理が人間にはありますから。変な口コミも伝染するし。

その辺勘違いしてる人がいたらちゃんと考えを正してもらいたい。

批判することはそれだけ重いことなのだよ

以上。

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2月 22

Reach Out!
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けっこう勘違いしてる人が多いんです。

自分が望むことを自然と自分に来ないかなぁと思ってる人っているんですが、それは間違い。

人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と一方的に思っている人が多過ぎるように思える。

あなたは人を好いていますか?敬っていますか?愛していますか?自分がそうされている何倍もそうしていますか?

そうでなければ人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と一方的に思ってもそれは無理な話です。ある意味ギブアンドテイクのようなもんで、一方通行では決して、好かれない。敬われない。愛されない。

けっこう印象に残ってるのが、×××ホリックというCLAMPさんの漫画で「人間は尊いものを敬わないのに、なぜ尊いものが、人間を助けなければならないの?」というセリフ(うろ覚えw)があったと思うんですが、確かにな。と思いました。

都合の良い時にだけ、「神様助けて」と人間は叫ぶけど、普段神様に対して、なにかしたのか?敬っているのか?….まぁ所詮一方通行なんですよ。(ちなみに私は無神論者なんで神様なんか信じていません。そんな都合の良い存在いるわけねぇ)

人間てもうそれこそマズローの欲求段階レベルの話で人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と思っているけど、自分自身そうしているか?というと意外にそうではなくて。一方通行の場合がすごく多い。

たとえば「敬われたい」と思っている人は人に敬われる程の努力したのだろうか?ノーベル賞とったらみんなから敬われるけど、それには数々の努力と時間をかけた結果の上だ。たしかに世の中不当な評価なモノやコトはたくさんあるのも事実だけどね。

でも逆に言えば人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と思っている人は人を好いて、敬って、愛せばいい。簡単なことでしょう?そういう意識を持つ事が大切かなと思ってこの記事を書いています。

「好かれたい!敬われたい!愛されたい!」をすべて放棄する?実はこれが逆効果で、そうすると尚更その欲求が高まると思います。それこそ一方通行で。敬うことをヤメてはいけない、好くことをヤメてはいけない、愛する事はヤメてはいけない。それをすれば一人の人間としてダメになってしまうでしょう。

愛されたいなら愛しましょう。

以上。

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2月 04

今日のブログの記事のテーマは「オチ」です。

私はね、よく大学の恩師に問われたものです。

「オチは?」と。

ストーリーのあるものというのは必ずと言っていい程起承転結が存在し、その中で一番重要なのはその中の「結」の部分。つまりは「オチ」の部分なんですよね。

映像の制作でも同様で、必ず、オチが必要で、同時に一番重要なのですよ。

ところが、これが難しいわけです。

大学生もけっこう「こういう表現をやってみたい」という漠然としたイメージややりたい事はあるんだけど、結局それだけで、オチは?と言われるとオチは思いつかない…という人が多かったように思えます。プロはその辺が違う。…と思う(一部を除く)

まぁ映画や小説などの創作には必ずフィナーレがあって、「終りよければすべてよし」という言葉がありますが、まさにそれで。逆にいえば途中は多少おかしくても、オチさえしっかりしていればなんとかなるものです。

だから逆に言えば、オチを中心に話を作る。というのも一つの手です。

どんな良い作品でもオチ部分が納得いかないものだともうそれはそれは、見てる方は気持ち悪くて、その作品の評価が下がるのは否めないでしょう。

オチにも幾つかパターンがあるわけですよ、ハッピーエンド、バッドエンド、その後のストーリーを想像させる最後、エンドレス、夢オチ、逆転….等々

まぁ私の個人的な気持ち的にはバッドエンドは嫌いなんですよね。

和月さんの言う「エンターテイメントの基本は笑顔とハッピーエンド」というのを信じてるし、そういう最後が気持ち良いんで。だから途中はどんなに苦しくても、悲しくても、最後に報われるオチなら救済される。

….ん?この記事のオチですか?

….

….

まぁ…

以上。

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