9月 29

昨日今日ぐらいのニュースでね。
チェ・ジュウとペ・ヨンジュンが日本に来日
したみたいなニュースしてて
飛行機降りて
空港のロビーみたいのに出て来ますよね?

あれを見てふと思ったんですよ。
あの人等だけじゃなく多くの芸能人が
そうなんですけど

なんでサングラスしてんの?

飛行機って眩しいの?
眩しくないじゃん。

じゃあ芸能人ってわからないように
変装の意味なの?

でもあんぐらいの人なら
空港にファンやらがいるのわかるじゃん?

その人が芸能人って、
目的の人って知ってるんだから
変装する意味ないですよね?

じゃあファッション?
ファンは素顔を見たいわけじゃないの?
知らんけど
わざわざサングラスでかっこつけたいか?

「俺は(私は)芸能人よ!フンっ!」

みたいな風に見えるのは俺だけ?

なんか態度悪そうに見えるんですよね。

普段芸能人が
町の中歩く時はいいですよ
むしろしないと大変でしょうからねぇ
いいですよ。

でも飛行機では意味ないでしょ。
わけわからん。

まぁ好きずきだけど
あまりに多い気がしてねぇ。

しかもチェ・ジュウにいたっては
ファンの前に出て来たあと
颯爽とサングラスをあえて
ファンの前で取るんですよ。

最初から外しとけや!

こんな事思うの俺だけかなぁ。
なんか気になった

以上。


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9月 20

モノは考え様とかよくいいますよね。

「そんなアホな」と
高をくくっている人は
なかなかできないと思いますがね。

時にはコレで解決できる場合がある。

題名通り
「見方を変えればパッと変わる景色」
ということですよ。

どんなに嫌で良くない不幸や
出来事が身に降り掛かっても
それを克服できるかは
こういった発想の転換といいましょうか

マイナスの部分に内包する
プラスの部分を見いだす
そしてそれを最大限に引き出す。

これはね。
簡単なようで難しいもんです。

人付き合いでも
どうにも馬が合わない人っていますけど
それをいかに乗り切るかは
こういった部分に隠されているかも
知れない。

宮崎駿曰く
「醜いもののなかにこそ美しさがある」

宮崎さんの映画作りのテーマの根底
というかコンセプトとして
上記の言葉を言い表しています。

この言葉も言うなれば
そういうことなんだと
思います。

簡単な例で謂えば
新潟では田んぼばっかりです。

それをですね、私の場合
田が植えられ
そして青い芽から黄金色に
染まってゆく姿を
とても優雅で美しいものだと思い
毎年その様を見て
季節の移り変わりや
優美なものを
見る事が出来ると
いつも感動を感じているんですね。

ところが見る人によっては
いつもの風景とか
田舎っぽいとか
田んぼなんかどうなろうが
関心ない、
なんて人はここで
既に自分より人生を
損していることになりますよね。

あんなに美しいものを
美しいものと
見れていないのですから。

他にもね
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した。
日本人として初の優勝者である
辻井 伸行さん。

彼は生まれつきの全盲です。
でもそんな大きなハンデをものともせず
大きな事を成し遂げたのです。

逆に辻井さんが全盲で生まれていなかったら
こんな大きな成功を掴むことはできなかったかもしれない。

自分のいいたい事が少しでも
伝わったでしょうか?

泥沼にハマる前に
見方を変えてみる

そうすれば他の側面が
見えてくるかもしれませんよ。

自分自身
出来るときと
出来ないときとありますが

最初から諦めてはいませんから。

それを次への意欲に
変えればいいと思うのです。

ちょっと固い話題でした。

まぁたまにはということで

以上


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8月 31

たまには難しく真面目な記事を書いてみる事にする。

死後の世界がもしあるとして、
よく語られる話として
まず人間が死ぬと魂が三途の河原にいって向こう(あの世)にいく。

すると天国か地獄に行って過ごした後
輪廻の概念でいけばまたその魂は現世で生まれ変わるというものだ。

この前「もののけ姫が生まれるまで」を見返してたら
宮崎駿さんがこの死後の世界について語ってるシーンがあり、
自分の存在が消えるのは
魂が三途の川を渡って自我がなくなれば魂とは無関係に個がなくなる
つまり魂が残って何度も輪廻しようがしまいが、自我、”個”がなくなれば
その時点でその人の存在は無になったのと同じだと言っていた(自分なりに解釈していますが)

人それぞれ死生観はあるとは思いますが私も輪廻というものは、
もしあると仮定しても”個”が継承されないのであればそれはなんの意味もなさないであろうと思う。

そのうちこの”輪廻”がテーマの漫画
「火の鳥」
についても考察を書いてみようと思うが
また今度。

みなさんはどうだろうか?

そこで少し話が変わるが「テセウスの船」をご存知だろうか?
パラドックスの一種である。
物体(オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき、基本的に同じであると言えるのか、という問題

例えば、

「あるAという船がある。その船は長い年月のうちに部品がすべて置き換わった。そうしたらそのAという船は、Aといえるのか?」

という事。
身近な例ではモー娘。みたいな事
(初期メンバーが一人もいないのにそれをモー娘。と呼ぶ)

これも人によってまちまちな回答になりそうだが

私は”別のモノ”
であると思う。

なんでこんな話を持ち出したかというと上記の死後の魂と”個”の概念に通ずるものがあるなぁと感じたからだ。

体と自我がなくなれば、魂が同じで他の体で生まれ変わっても同じといえるかどうかという点で

自分としてはそれはもはや別の物であり
輪廻は輪廻であっても本当の意味での輪廻ではない。
と思っている。

だからスピリチュアルとかで
「貴方の前世は~です」
的な事を言ってるがそれはもはや違うものであるから前世を知った所で
他人を紹介されたのと同じだと思う。

うーん
なんか哲学的になってしまったか?

でもなんとなくどうでもいいことかも知れないけど
“死”というテーマは人間なら誰しも関係のあることなので
意外に重要な事だと思う。

あなたの死生観はどんなですか?

以上


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