人間というものはそのほとんどが面倒くさがりらしい。
かくいう私もかなりの”面倒くさがり”だ。自分や一部の人間だけが「面倒くさがり」だと思ったら大間違いで実際世の中の大半の人は自分が「面倒くさがり」だと思っているのがほとんどらしいんですよね。
でもそれは今に始まった事ではなくて、大昔人間が原始人だったころから、既に「面倒くさがり」になってきた。
最初は狩猟をして危険を犯して肉を得ていた。人間はそれを「面倒くさい」と感じて、肉を効率よく危険を犯さずに得る為に”畜産”することを思いついた。
最初人間は歩いていた。でも面倒くさくなって、自転車、機関車、車を作った。
いちいち長い階段を登るのが面倒だから「エレベーター」を作った。
なんでも「面倒くさがり」から人間はその面倒くさい作業を解消するために面倒くさい作業をして、様々なものを開発していった。
もちろん今もそうだ。
「面倒くさがり」が人間を進化させた。
“面倒くさい”という感情こそが人間を突き動かした。
だから「最近の若者は面倒くさがりで」などと言うのはお門違いだ。だって人間は原始のころから「面倒くさがり」なんだから。
お金も「面倒くさい」を解消するからお金が発生する。
いちいち自分で家を作るのは面倒だから「大工さん」に家を建ててもらう。
いちいち野菜を育てるのが面倒だから「農家」に野菜をつくってもらう。
いちいち服を編むのが面倒だから「服屋さん」につくってもらう。
原始時代は全部自分でやっていたことですよね。でも「面倒」だから、それを解消するために
役割を分けた。
それをしてもらうのにお金が発生する。
すごく自然な流れだ。
“面倒くさい”を代わりに対価を払う。
お金の上限さえなければ「面倒くさい」はなくなるだろう。
だって「面倒くさい」はそのほとんどが「お金」で解決するから。
その「面倒くさい」を解消する為の努力をすることによって人間は効率よく、うまく生きられるのだろうと思う。
『「面倒くさい」を解消する為の努力』自体が面倒くさい人は泥沼ですよね。どんな事柄も「面倒くさい」になってしまって、結局なにもできなくなる。
「面倒くさい」をうまく解消できれば人間は「人生」をうまく生きられるのかもしれない。
生きている事を「面倒」と思わなければ…ですがね。
以上。
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