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「琴線」という感覚。

最近ちょっと更新が滞って申し訳ない。

では本題

「琴線に触れる」という言葉があります。綺麗な言葉ですよね。しかもうまく言い表していますし。

意味は

「心の奥深くにある、物事に感動・共鳴しやすい感情を琴の糸にたとえていった語。「心の―に触れる言葉」

とあります…が

不愉快になる意で用いるのは誤用なんですが、自分はどっちにも使いたいんですよ。(自分が勝手にですけど)反対の意味にも。

つまりなにかの作品を見た、聞いた、触れた時に、感じるあの感覚です。

それが”良い””悪い”を理論やなんかでは無く心の奥底まさに琴線のような感覚で揺れる時。

琴線〜は元々はもちろん”良い”のみですが、”悪い”と思う時にも触れるんですよね。自分の場合。(そういうことにさせておいてください。)

なんとも言葉に表しづらいのですが、やはり一番しっくり来るのは”琴線”という言葉で、自分の場合、無意識に明確な理由や理論などは無視してはたらく感覚なんですよね。

例えばそれは
映画を見たとき、
CMを見たとき、
音楽を聴いたとき、
テレビ番組を見たとき、
芸術を見たとき、
デザインを見たとき、
人間を見たとき…

有りと有らゆる時に私の”琴線”は揺れる。それは”良い”方に触れるのか、”悪い”方に触れるかは、もはや無意識下の事としか言いようが無い。

今まで人生生きてきて、体験したり、見聞きしてきたこと全部が琴線の振れ方を決めているのかもしれない。そういう感覚ありませんか?多分”琴線”の感覚はそれこそ千差万別で、一人としてまったく同じということはないと思いますが、この感覚誰しもがもってる”第六感”みたいなもんじゃないかなぁと思っているんですよね。

自分の場合それを一番感じるのはCMなんですよね。このブログでもCMについての記事(最近少ないですが)も書いていますが、CMを見る度にパッと琴線が揺れます。良い方にも悪い方にも。

Webデザインやグラフィックデザインでもよく感じます。

こういう感覚はやっぱり自分にとって財産だと思う。この”琴線”の感覚があるからこそ、あらゆるものの傾向と対策が練れる。というか”良い”と思う部分を自分に取り入れ、”悪い”と思う部分を排除できる。

そうやって感性を磨く。そうすればさらに”琴線”の感覚が鋭くなる。

人生これの繰り返しですよね。

以上。

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